半白 – 終わりと始まり

五十歳という節目の「半白」を迎えた2024年秋。「特別展 加藤亮太郎 半白記念展」を古川美術館分館爲三郎記念館で開催しました。志野、瀬戸黒、織部など、美濃桃山陶を用いた茶盌を中心に据えながらも、広範な創作活動の全貌を表現する記念碑的な個展となった本展。振り返りながら、作家としての新しい章の始まりを聞きました。(聞き手・構成 鶴岡優子)

真行草の揺れを味わう

「半白記念展」を終えて

古川美術館分館爲三郎記念館は、日本庭園と数寄屋造りの母屋「爲春亭」、茶室「知足庵」からなる美術館です。国の登録有形文化財にも指定されている趣ある広い空間全体を、自分の作品で埋め尽くすことができたのは貴重な経験でした。その空間に多くのお客様がたくさん入っていただいて、茶盌に触れて観ていただけたことはとても幸せなことだった、としみじみと感じています。片付けるのがとても残念でした(笑)。

私にとって美術館での個展は今回が初めてで、まだ足りない部分はありましたが、今できることは全て出し切りました。一年以上かけて構想してきた個展でしたが、五十歳の節目をなんとか無事に乗り越えられた手応えがあります。

個展のコンセプト

五十歳「半白」は、白寿の半分です。これまで美濃桃山陶の伝統に正面から立ち向かい、特に茶盌を中心に制作してきました。ここから先、もっと削ぎ落として、いずれは真白になるまでの作家としての道はまだ半分です。さまざまが半ばするいまの私をご覧いただきたい、という「半白」が本展のメインテーマでした。

展示は五十歳にちなみ、五十の茶盌をメインに構成しました。志野と瀬戸黒で二十五盌を構成し、残りの半分は織部、瑠璃黒などのバリエーションで取り揃えました。最後の一盌を三彩で締めくくることも最初から決めていたことです。大広間には志野、瀬戸黒を半々で並べることで、白と黒の空間にしました。白と黒、陰と陽、生と死、人と自然、自我と無我を、窯変のように非対称である「片身替わり」をテーマとして表現した世界観でした。

玄関は私の出発点でもある大きなオブジェでお客様を迎え、半地下の茶室では書と陶を融合した作品でインスタレーションをしました。現場を見て、水屋にも茶盌を並べてみたり、庭の灯籠に宝珠を置いてみたり、遊んだところもあります。最後まで悩んだ小さな部屋には、茶盌以外の造形的な作品も見ていただきたい思いもあり、動物をモチーフにした香合たちを展示することにしました。

私にとって「真行草」の真は茶盌であり、その中でも志野と瀬戸黒が中心です。行や草である織部や瑠璃黒、オブジェや香合、書など幅広い創作をすることは、自ら振り子を揺らすようなイメージで、最終的には真である志野と瀬戸黒の茶盌に集約します。個展をご覧になったお客様に、私の真行草のあらゆる創作活動を空間全体で感じ取っていただけたのならとても嬉しいです。

茶盌との語らい

この個展では、できるだけ茶盌を手に取ってみれる展示をやりたいと考えていました。通常の美術館での展示は、安全性も配慮してケースに入れての展示ですが、私の在館日はケースを外し、実際に茶盌を手に取っていただくようにしました。実際に茶盌を手に取ることができ、お客様にはとても喜んでいただけました。

1ヶ月半の会期を通じて、五千人以上の方が来館してくださったのですが、皆それぞれに面白いと感じる作品やポイントには違いがあったようです。銘から入っていく方もあれば、色や手触りなどから自分とリンクする部分を見つけられる方もいました。やきものの面白さを少しでも感じてもらえる機会になったのなら、これ以上嬉しいことはありません。

もっと破れていく、その走り

挑戦と変化

新作で五十盌というお題を自らに課したことで、新しい技法が生まれた作品もあります。たとえば、柿織部もその一つです。また、作品だけでなく、展覧会の空間全体を表現する中で、自分の作家性の部分が(守破離の)破れていく感覚はありました。この先、もっと破っていくことになる、その走りのようなところがあったと思います。

作品でいうと、鼠志野茶盌「雪踏」、志野茶盌「五十嵐」などは、まさにその破れの感覚が大きかった作品です。真行草の振り子の揺れ方にも、穏やかな揺れと激しい揺れがあって、激しく揺れると、こうした作品が生まれることがあります。五十歳にはなりましたが、作家としてはまとめてしまわずに、もっと破って暴れさせなければ、と思っています。どう破っていっても、最終的には真にまとまっていく感覚はあります。

鼠志野茶盌「雪踏」
志野茶盌「五十嵐 」

本展を通して、次の節目、六十に向けての足がかりができたと思っています。これからも日々の生活や幸兵衛窯の運営も含め、経験したこと全てを糧として、作品に生かせるよう歩んでまいります。